第17回ロシア法研究会が開催されました。
今回は、名古屋大学大学院法学研究科教授の佐藤史人先生を講師としてお招きし、『ロシアにおける破毀審と近時の司法制度改革』との演題にて、2018年司法制度改革で新設された破毀通常裁判所を中心にご講演いただきました。
その概要は以下のとおりになりますので、御報告申し上げます。
1.2018年司法制度改革の概要
ロシアでは2018年司法制度改革によって破毀通常裁判所(Кассационный суд общей юрисдикции)が設置され、同裁判所は翌2019年10月1日から活動を開始しています。
それまでの民事手続では、訴額5万ルーブル以上の事件は、地区・市裁判所が第一審裁判所、連邦構成主体レベルの裁判所(州級裁判所)が控訴審裁判所となり、そこまでで裁判が確定します。しかし、原判決に法令違背の疑いがある場合には、同じ州級裁判所の幹部会でさらに審理することができ(第一破毀審)、それでも問題が残る場合には最高裁に上訴して、最高裁民事部が第二破毀審として審理するという仕組みになっていました(さらに、最高裁幹部会の監督審があります)。
上記のとおり、一つの裁判所(州裁判所)が控訴審と破毀審という2つの役割を担っていたこと、判決が法的効力を生じた後に、さらに2回の破毀審と監督審とが存在することなどが、従来、問題点として指摘されていました。
これに対し、昨年10月にロシア全国9箇所に新しく破毀通常裁判所が設置され、その代わりに州裁判所幹部会の破毀審が撤廃されることによって、ロシアの上訴制度はその面目を一新しました。また、州級裁判所が第一審となる事件(国際養子や国家機密に関わる紛争など)についても、これまでは、控訴審、破毀審の審理はいずれも最高裁で行われていましたが、今回の改革で控訴通常裁判所が設置されたことにより、控訴審と破毀審という二つの機能が、組織的にも分離しました。
2018年の司法統計(民事・行政事件)を見ますと、地区裁判所の新受件数は約340万件、控訴審(州級裁判所)の新受件数は約72万件、同じ州級裁判所で行われる幹部会の新受件数は約25万件です。そのうち単独裁判官による事前審査を通過した事件数が約7600件、実際に審理されたのは約7400件で、そのうちの95.6%で破毀請求が認容されています。これまで州級裁判所幹部会が処理してきたこれらの事件が、今後は破毀通常裁判所の審査対象となります。(なお、最高裁の第二破毀審で審理されたのは約1300件、最高裁幹部会の監督審の新受件数は約1000件ですが、監督審の審理件数はわずか1件であり、監督審については、存在はしているが実際には機能していないといえるでしょう。)
2.商事裁判所モデルの導入
上記の新しい制度は、基本的には、これまでの商事裁判制度に近づけたものという事ができます。商事裁判では、州級商事裁判所で第一審が行われ、控訴審はロシア全体で21ある商事控訴裁判所、その後、10ある管区商事裁判所で破毀審理が行われます。以前の商事破毀審は1回に限られ、「第4の審級」として最高商事裁判所(幹部会)の監督審が置かれていました。最高商事裁判所は、監督審を通じて新たな判例法理を形成し、それが法律家から高く評価されていました。しかし、2014年に最高商事裁判所が廃止され、その機能が最高裁判所に統合された結果、現在では、最高裁経済紛争部で第二破毀審が行われ、その後に、幹部会で監督審が行われる形になっています。その一方で、商事監督審の審理件数は極端に少なくなり、実質的には機能しなくなりました。
3.破毀通常裁判所設置の理由
破毀通常裁判所は、どのような経緯で設置されたのでしょうか。この2018年司法制度改革は、最高裁判所の発案によるものです。2016年12月、4年に1度開催される全ロシア裁判官大会において、ロシア最高裁長官のレべヂェフ氏が、司法の独立性と客観性とを高めるために破毀裁判所の設置が必要であるとの演説をし、これをきっかけにこの新たな制度が具体化されました。この改革は、ロシアでは概ね歓迎されているようです。モスクワ国立大学のボリーソヴァ教授も、「理論と法実務で長きに渡り期待され議論された出来事」であると好意的に評価しています。
破毀通常裁判所の設置が、司法の独立に資する理由としては、以下の2点が挙げられます。
①行政地域区分と裁判管区の分離(экстерриториальный принцип)
ロシアでは、地方政府からの裁判所の独立性の確保が、これまで課題の一つとされてきました。裁判所は、治安判事裁判所を除いて、連邦レベルの国家機関です。しかし、中央からの予算は十分ではなく、実際には連邦構成主体から財政的支援を受けることも多かったのです。このように裁判所が地方政府に依存しがちな状況下で、ロシアの裁判所は、個別の案件について各レベルの政治家から電話がかかってくるなど、様々な圧力に晒されます。今般の改革では、そうした弊害を克服する方途として、行政の単位と裁判所の地域管轄との分離がはかられたのです。
②州裁判所内での複数の審級の同居解解消(один суд – одна инстанция)
ロシアでは、州級裁判所の所長は、人事や勤務評定、予算の配分といった司法行政を通じて、個々の裁判官に強い影響力を及ぼすことができます。州級裁判所に、控訴審と破毀審という二つの審級が同居するという制度設計もまた、控訴審の裁判官に自分の所属する裁判所の所長を意識した振る舞いをさせる要因の一つとなっていました。今回の制度改革により、このような州級裁判所所長の強い影響力の源泉の一つが解消されたと見ることができます。
4. 破毀通常裁判所の実態と課題
上記①②からすると、地方行政や裁判所の長に対する裁判官の独立性を確保するために、州級裁判所から破毀審の機能を剥奪し、代わりに独立した破毀通常裁判所を設けたことは、非常に有意義なことのように思われます。しかし、上記の改革は、裁判官の独立を保障するために必要な一定の条件を満たすものではありますが、独立のための十分条件がかなえられた訳ではありませんし、新たな課題も抱え込んだようです。
(1)「裁判官移民」あるいは裁判所内部のヒエラルキー構造の移植
第一の問題は、新しい裁判所の設置に伴う「裁判官移民」のあり方に関する問題です。モスクワを管轄する第2破毀通常裁判所では、所長にニジェゴロド州裁判所長だったアナトーリー・ボーンダル氏が選ばれました。すると、同氏のニジェゴロド州裁判所の部下20名の裁判官もまた、第2破毀通常裁判所の裁判官として選任されました。つまり、それまでのニジェゴロド州における上司と部下の関係が、モスクワに持ちこまれたのです。
(2)管轄の広域化とその弊害
行政地域区分と裁判管区の分離の妥当性についても見てみましょう。ロシア全国の中で破毀通常裁判所は9つしかなく、そのほとんどが西側に偏在しています。その結果、例えば、イルクーツクの事件は、ケメロヴォにある第8破毀通常裁判所まで行かなければならず、片道2日もかかってしまいます。広大なロシア領土内において、当事者の出席は、地域によっては非常に困難となります。
このような事情は、商事裁判所も同様ですが、商事裁判においてこのことは特に問題とされていません。しかし、高等経済学院のS.パーシン教授は、民事裁判の本質は、証人尋問、当事者主義による生きた訴訟活動にあり、民事裁判を商事裁判と同じように考えることはできないとする視点から、当事者の参加を困難にさせる管轄の広域化を否定的に評価しています。
5.破毀通常裁判所における手続
(1)「全面的破毀審」
続いて手続面に移ります。破毀裁判所の最大の特徴は、「全面的破毀審」(сплошная кассация)の導入にあると言われます。人によっては、「選択的破毀審」から「完全な破毀審」へ、「間接的破毀審」から「直接的破毀審」への転換と評することもあります。何が「全面的」なのかというと、破毀申立に対する事前審査を行わない、ということです。2018年改革前は、州級裁判所幹部会への申立について事前審査が行われており、実際に破毀審で審理されたのは、民事事件で5%、行政事件で4%だけでした。
モスクワ大学のボリーソヴァ教授は、これまでの事前審査はかなり恣意的であったという観点から、これが全面審査によって取り替えられたことを好意的に評価しています。連邦裁判官評議会議長のモモトフ裁判官も、これまで第一破毀審は、最高裁に申立てるための形式的な手続にすぎず、当事者によって軽視されていたので、第一破毀審を実質化させるために、「全面的」破毀審を導入したのだと述べています。2020年2月にレベヂェフ最高裁長官は、それまでの破毀通常裁判所の4ヶ月の活動を総括し、同裁判所はこれまでに比べて3倍の請求を認容しており(申立ての14%)、全面的破毀審の導入が第1破毀裁判所の実効性を高めたと指摘しました。
(2)第一破毀審の手続
次に、破毀通常裁判所の手続を概観しましょう。「直接的」破毀審の申立手続を概略すると、以下のとおりとなっています。
① 訴訟関係人、検察官は、第一審裁判所を通じて破毀申立てを行います。第一審裁判所で申立てを行うのは、地区裁判所が市民にとってアクセスしやすく、また同裁判所が、事件記録を保管しているからです。
② 申立期間は、州級裁判所の原裁判の確定日から3ヶ月以内です。
③ 第一審裁判所は、訴状および事件記録を、申立ての提起後3日以内に破毀審裁判所に送付します。
④ 破毀審裁判所裁判官は、申立ての到達後5日以内に受理について判断します。受理した場合、裁判官は、決定により口頭弁論期日を指定します。
⑤ 審理期間は、2ヶ月以内とされています(4ヶ月まで延⾧可能)。
なお、破毀通常裁判所では事前審査を行いませんが、最高裁の(第二)破毀審には事前審査が残っています。
(3)原裁判の取消事由
次に、原裁判の取消事由についてです。この取消事由をみると、この審級が何を目的としているのかがよく分かります。
2019年10月までは、第一破毀審、第二破毀審とも、原裁判の取消事由は、「実体法および手続法の重大な違反で、事件の結果に影響を与え、その除去なくして権利および法益の回復および保護ならびに公益の保護が不可能な場合」とされていました(トルツメ・傍線は、報告者)。単なる誤判、法令解釈の違い程度では、原裁判は取り消せないということです。
これに対し、2019年10月以降、第一破毀審と第二破毀審の判決取消事由は異なるものになります。最高裁民事部の取消事由に変化はありません、しかし、破毀通常裁判所の取消事由は、控訴審のそれと類似したものになり、控訴審とほぼ同様の理由で第一審の判決・決定を取り消せるようなりました。
第1の取消事由は、「第一審裁判所および控訴審裁判所によって認定された事実が原判決における裁判所の結論と適合しない場合」です。これは、下級審の事実認定が適切になされていたかどうかも審査の対象となるということです。また、このことは、1995年改正によって削除されたソビエト時代の裁判所の権限が復活したことを意味します。
第2の取消事由は、「実体法または手続法の違反または誤った適用」です。注目されるのは「重大」という文言が削除されている点です。
判決取消事由における以上の変化は何を物語っているのでしょうか。社会主義時代には、通常の審級制度は、第一審と第二審からなり、それ以外の非常救済手段として「監督審」が存在していました(「監督審」は、州級裁判所幹部会、最高裁民事部、最高裁幹部会の3段階で行われていました)。「監督審」は、建前上は例外的な救済手段でしたが、実際には第一審、第二審の裁判を見直す制度として頻繁に用いられていたため、体制転換後は、既判力の原則を侵害し、法的安定性を脅かすとの理由で、90年代から2000年代にかけて改革の対象となり、さまざまな縛りがかけられていきました。この「監督審」を淵源とする現在の破毀審の判決取消事由が、2018年改革を通じて緩やかな要件に転換したということは、ソビエト時代へのある種の「先祖返り」が起きたことを意味します。実務を分析しないと結論は出せませんが、判決の取消事由の変更は、裁判の蒸し返しを可能にし、当事者の法的地位を不安定なものとする制度的後退であると言えるかもしれません。
ところで、破毀通常裁判所の手続に関しては、制度的前進と見られる変化も生じています。ご存知のとおり、ロシアでは、治安判事裁判所、地区裁判所は、行為無能力者に該当しない限り、誰でも訴訟代理人になれますが、今回の改正により、破毀通常裁判所では「弁護士その他高等法学教育を修め、または法学位を有し法律事務を行う者」に訴訟代理人資格が限定されました。
6.破毀通常裁判所の評価と問題点
最後に、破毀通常裁判所の問題点を幾つか指摘します。
第1に、事実上機能しておらず、第二破毀審と役割が重複する監督審が、今回の改革では手つかずのまま残りました。
第2に、「二つの破毀審」が併存するという問題は未解決のままです。一応、両者の目的は異なるものになりましたが、第一審、控訴審、第一破毀審(破毀通常裁判所)、第二破毀審(最高裁民事部)、監督審(最高裁幹部会)、という長い「5審制」は解消されていません。
第3に、原判決取消事由は、控訴審の第一審取消事由と重複しており、客観的真実ないし実体的真実を追究する姿勢が強まる一方で、訴訟の蒸し返しが容易になり、法的安定性が損なわれるおそれが生じています。
第4に、破毀通常裁判所は、ロシア全土で僅か9つしか存在しません。管轄が連邦構成主体よりも広域であるという点は、司法へのアクセスの後退や、裁判を受ける権利との関係で問題になります。
第5に、全面的な破毀審を導入し、事前審査を排除したことは一定の評価に値しますが、他方で、裁判官の過重負担という新たな問題が生じるため、はたして有効に機能するのだろうかという疑問が生じます。現状では、裁判官定数は681名しかなく、1人が年410件、合議体は1日9~10件を取り扱う状況です。これで、本当に裁判の実効性が高まるのか、良い裁判ができるのか、という懸念の声もあがっています。
以上からしますと、暫定的な私見ではありますが、破毀通常裁判所の設置は、確かに、裁判官の独立の確保のための「一歩」ではありますが、まだ多くの課題が残っているように思われます。そして、ソビエト時代の1964年民事訴訟法の制定以降、今回の2018年破毀通常裁判所の新設に至る長い歴史の中で、今回の改正が、やっと辿り着いたポスト共産主義司法改革の「終着駅」といえるかどうかについては、今後も慎重な検討が必要だと思料します。ご清聴ありがとうございました。
佐藤史人先生におかれましては、長年、ロシア裁判制度をご研究されて来られた高い知見とご経験の中から、この度は貴重なお話をお聴かせ下さいまして、誠に有り難うございました。参加者の皆様も、非常によく理解できたとおっしゃっていました。改めまして、つつしんで御礼申し上げます。(文責小川)。
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