2019年11月18日

第15回ロシア法研究会が開催されました。

 今回のロシア法研究会のテーマは:『日ロ平和交渉の現状』になります。講師は、朝日新聞社の論説委員をおつとめになる駒木明義さまをお迎えいたしました。駒木様から、以下のとおりご講義をいただきましたので、ご報告申し上げます。
 なお、本テーマに関しましては、様々なご意見、ご見解があろうかと存じますが、その中の一つとしてご理解いただけますと深甚です。
 それでは、駒木様、宜しくお願いいたします。

 昨今、安倍政権がロシア連邦との平和条約締結に向けて、前向きに活動をしておりますが、本日は最近の状況につきましてご報告いたします。

第1.まずは、これまでの日露間の条約の状況について、簡単に確認いたしましょう。

以下の表は、外務省の資料から引用したもので、日本政府の理解に基づくものです。
(外務省ウェブサイトより:https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_keii.html

1)日魯通好条約(1855年)
2)樺太千島交換条約(1875年)
3)ポーツマス条約(1905年)
4)サンフランシスコ平和条約(1951年)

細かい点は割愛いたしますが、上記の経緯を踏まえまして、4)のサンフランシスコ平和条約には、日本は南樺太と千島列島を放棄する、との内容が記載されていました。

日本政府は、当初、ヤルタ協定で放棄が合意されたとされる千島列島の範囲に、国後島・択捉島まで含まれると公に説明していました(「千島北部・南部の分類論」)。しかし、この説明は1956年2月に正式に取り消されるに至りました(森下外務政務次官答弁) 。

その背景としましては、アメリカ合衆国のダレス国務長官が、日本がソ連に対して4島全ての返還を求めないと、沖縄を返還しない、と要求したとする話や、55年保守合同体制の際、親米派(吉田茂等)の意見が新しい自由民主党の統一見解として優先された等の話が指摘されております。

5)日ソ共同宣言(1956年)
 その後、ソ連との国交回復のため日ソ共同宣言が合意されました。
 その中には、平和条約が締結された後に、歯舞群島及び色丹島を日本に引き渡すと記載されておりますが、国後島・択捉島には言及されてございません(第9項)。こちらも外務書のウェブサイトに日本語版が掲載されております。

(外務省ウェブサイトより:https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-shiryou-001.htm

『日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。

ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。』

上記宣言を採択した当時の時代的背景としては、ソ連との国交回復や、日本の国連復帰、そして、シベリア抑留者の帰還等の必要性があり、領土問題は上記のとおり先送りされた形です。いろいろな妥協を強いられた結果だと言われます。

第2.安保体制とソ連崩壊

1951年にサンフランシスコ平和条約と同時に締結された日米安保条約は、1960年に新日米安保条約として改訂されましたが、これに対して、ソ連側は非常に大きな危機感を抱きました。当時、フルシチョフ書記長は領土問題は解決済みとして、日本国との間に領土問題は存在しないとの立場を採っていましたが、1973年、田中角栄首相がソ連を訪問した際、ブルジネフ書記長に領土問題があることを認めさせたとされます。

 その後、1991年、ソ連が崩壊して冷戦が終結しました。ソ連はロシア連邦に引き継がれた形になりましたが、1993年にエリツィン大統領が来日した際、北方4島の島名を列挙した上で北方領土問題をその帰属に関する問題を解決した上で平和条約を早期に締結するとして、日露共同文書が発表されました(東京宣言)。

 4島すべての帰属の問題であることを認めさせたのは前進でしたが、他方で、いったん56年宣言で引き渡すとした歯舞・色丹島の帰属の問題について、再度、俎上に上げてしまったとも言われます。(こちらは、現在のプーチン大統領の立場です)

第3.安倍政権と日露平和条約交渉の現在位置
 1.北方経済フォーラム(ウラジオストック)
 ご存知のとおり、2018年9月12日、ウラジオストックの北方経済フォーラムで、プーチン大統領が、突然、「平和条約を締結しよう。今とは言わないが、年末までに。いっさいの前提条件をつけないで」(=領土問題を平和条約の条件としない、を意味する)と発言したことが、日本では大きく報道されています。

 しかし、プーチン大統領の上記発言は、その直前に、安倍首相が、周近平、その他の諸国の代表者と聴衆の面前で、㋐「プーチン、もう一度ここで、たくさんの聴衆を証人として、私たちの意思を確かめ合おうではありませんか。今やらないで、いつやるのか、我々がやらないで、他の誰がやるのか」㋑「平和条約締結に向かう私たちの歩みに御支援を頂きたいと思います。力強い拍手を、聴衆の皆さんに求めたいと思います」㋒「ロシアと日本が力を合わせる時、ロシアの人々は健康になる。ロシアの都市は快適になる。ロシアの中小企業はぐっと効率を良くします」と発言したことを受けてのことでした。
 なお、上記㋒については、多少、プーチン大統領の耳に否定的に響いた部分もあったのかもしれません。

 しかし、双方は、食い違う解釈を示しています。

 安倍首相は、2018年9月14日、日本記者クラブで、以下のように説明しています。

「プーチン大統領が述べたこと、さまざまな言葉からサインを受け取らなければならない。平和条約をちゃんとやろうと言ったことは事実。日本の立場についてはあの発言の前にも後にもちゃんと私は述べている」

「今年11月12月の首脳会談は重要な首脳会談になっていくと思っている」

 他方で、プーチン大統領は、その後の2018年10月18日のバルダイ会議で、領土問題と平和条約を切り離すことを明確に表明しています。

「島の問題の解決なしに平和条約を結んだとしても、将来も問題を解決しないということではないし、歴史のゴミ箱にすてるわけでもない」

「日本とは70年話し合い、行き詰まっている。だから平和条約をまず結び、信頼のレベルを上げて前進しよう」

2.シンガポール日露首脳会談(2018年11月14日)
 その後のシンガポール日露首脳会談では、安倍首相は、

「次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つというその強い意志を、大統領と完全に共有。1956年共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることで合意」したとしました。

 上記のうち、1956年共同宣言に立ち戻るということは、4島ではなく、2島返還を重視することになります。

 しかし、これに対するプーチン大統領の翌日の記者会見では(同年11月15日)、

「そこ(56年宣言)には、島の南部2島をソ連が引き渡す用意があると書かれているが、どのような根拠で誰の主権の下で行われるかは書かれていない。すべては真剣な研究の対象だ」

と発言して2島返還を牽制しています。

3.ブエノスアイレス日露首脳会談(2018年12月1日)
 さらに、その後にブエノスアイレスで開催された日露首脳会談では、両首脳は、日露平和条約締結交渉の加速化させるため、㋐河野外相、ラブロフ外相を交渉責任者、㋑森外務審議官、モルグロフ外務次官を交渉担当者(両首脳の特別代表)、とすることで合意しました。

4.相次ぐロシアの牽制(その1)

 しかしながら、領土問題と平和条約交渉については、その後、ロシア側からの牽制が続きます。以下、簡単に纏めてみます。

①プーチン大統領大記者会見(2018年12月20日)

 沖縄問題に言及「この種(安保問題)の決定について日本がどの程度主権を有しているのか分からない」「皆が反対しているのに沖縄の基地計画は進んでいく」

②ロシア外務省の抗議(2019年1月9日)

 帰属変更に住民の理解がいる、2019年が転機になる、との安倍首相の発言に対して、ミスリーディングである、とのこと。

③ラブロフ外相(2019年1月14日の外相会談後)

 「主権は協議されていない」「第二次大戦の結果を認めることが最初の一歩」「河井克行氏の発言は言語道断」「イージスアショアは中ロのリスク」

5.相次ぐロシアの牽制(その2)

①プーチン大統領記者会見(2019年1月22日、日露首脳会談後)

「この先には骨の折れる作業がある」「解決策は、両国の世論に支持されるものでなければならない」

②全ロシア世論調査センターが結果発表(2019年2月19日)

「島を引き渡すべきではない」が四島住民の96%

③プーチン大統領非公開の発言(2019年3月14日、産業企業家同盟)

「交渉のテンポは失われた」「安倍首相は引き渡し後の島に基地を置かせないと約束したが、その手段を持っていない」「日米安保からの離脱が必要」

6.大阪G20での日ロ首脳会談(2019年6月)
 さて、その後、大阪でG20サミットが開催された際、日ロ首脳会談が、再度、開催されましたが、結果は、予測されたとおり、あまり進展しないものでした。

 ⑴ 予測された結果

 G20サミット前、プーチン大統領のロシアでの生番組での質疑応答にて、既に、以下の質疑応答を行っていました。

Q:安倍首相との会談でなにを期待しているか?

⇒「対話の継続だ」

Q:南クリルのロシアの旗を下ろすのか?

⇒「そのような計画はない」

※事前に日本メディアとのインタビューはありませんでした(プーチン大統領は、外国に訪問する前に、訪問予定国のメディアのインタビューを受けることが通例)

 ⑵ 会談の「成果」とは?

 日本側としては、何の成果もなければ困りますので、日本側のみがペーパーを出しました。
 上記に記載される「共同経済活動」とは、いったい何でしょう?

㋐10月30日~11月2日、「北方領土観光試行ツアー」が実施された。「一般客」33人と政府関係者ら11人が国後、択捉島を訪問しました。

㋑日本人の現地入りには従来の四島交流の枠組みを利用する=ロシア側からみると入国手続をしている、日本側からみると入国手続をしていない、という理解でした。

㋒観光試行ツアーだけでなく、将来的には、商業ベースで訪問できるようにしたい。

㋓しかし、現地で養殖、風力発電、ゴミ処理、いちご・・・、等の産業を育成するにしても、いったい、どちらの法律が適用されるのか?また、紛争解決をどうするのでしょう?

㋔共同経済活動の実施のための「人の移動の枠組み」(上記㋐㋑)や「法的課題」(上記㋒㋓)は、打開のメド立たず。やはり、商業ベースは難しそう。

⇒現状では、G20首脳会談の努力を無駄にしないために、何等かの観光ツアーの実施が精一杯の状況かもしれない。

第4.ロシア側の立ち位置
 1.2つの前提条件
 ロシア側には、領土問題解決と平和条約締結には、以下の2つの前提条件があると理解されます。
①第二次世界大戦の結果、北方4島が合法的にロシア領土となった事実を認める。
②日米安保条約へのロシアの懸念を払拭する。
(しかも、上記①②を受け入れれば、平和条約締結や領土が返還される、とはロシアは言っておりません。)

 2.ロシア側の論拠(国際法上)
 ロシア側が、北方4島がロシア領であるとする論拠は、概ね、以下の①~④に整理されると思料されます。

①ヤルタ会談 
 スターリン、ルーズベルト、チャーチルがソ連の対日参戦と引き換えに、南樺太の返還、千島列島の引き渡しで合意したこと。
②日本の降伏文書 1945年9月2日署名
「米国、中華民国、英国が発し後にソ連が参加したポツダム宣言を受諾する」
(ポツダム宣言第8項)
「日本の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに我らの決定する諸小島に極限せらるべし」
③サンフランシスコ平和条約 1951年9月8日署名
「日本は千島列島に対する権利、権原、請求権を放棄する」
④国連憲章107条(旧敵国条項)
「旧敵国の行動に対して責任を負う政府が戦争後の過渡的期間の間に行った措置(休戦・降伏・占領など)は、憲章によって無効化されない」

  【上記④に関するラブロフ外相の解釈(2015年5月)】
「107条には『戦勝した連合国の行ったことはすべて神聖でありゆるがせにできない』ということが書かれている。言葉は違うが、法的にはそういうこと。彼ら(日本人)を国連憲章に引き戻せば、何も反論できない」

(参考)ただし、日ソ共同声明(1991年4月ゴルバチョフ大統領と海部首相)では、「双方は、国際連合憲章における『旧敵国』条項がもはやその意味を失っていることを確認」したとされています。

 3.西側諸国に対する対策
 その他、日米安全保障条約の下、北方領土は、ロシア側にとって、オホーツク海近辺を中心とする軍事的価値が非常に高いとされています(軍事的価値)。
 また近時、中ロの接近が指摘されており、例えば、イージスアショア艦などは、「中ロの脅威」として表現されています(中ロ接近)。

第5.浮かぶ疑問点
 1.「安倍首相は2島路線に舵を切ったのだろうか?」
 従来の4島返還から2島返還への路線変更がなされているとの主張があります。
 その背景として、北方領土問題について、従来の外務省主導から、官邸(経産省)主導に切り替わったのではないかと云われることがあります。
 しかし、2島返還路線についても、両首脳間に大きなすれ違いがあるようです。

安倍首相:「1956年宣言を基礎に交渉を加速させます」「私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つという強い意志を大統領と完全に共有」

プーチン大統領「1956年宣言には主権を引き渡すとは書かれていない。条約で四島をロシア領と確定し、その後に引き渡しの条件を交渉する」「長い綿密な作業が必要であるし、両国の世論に支持されることが必要である」

 2.「ロシアは急に態度を硬化させたのか?」
 ロシア側は急に態度を硬化させたのか? という見方もあるようですが、プーチン大統領は、2004年~2005年頃から、一貫して4島がロシア主権下にあることを主張しており、基本的に変わっていないと理解されます。
 上記時期の世界的情勢は、次のとおり、西側が勢力を拡大する一方、内国ではプーチン大統領が国内的な基盤を安定化させた時期でもありました。

  ⑴2004年~2005年のロシア内外の政治情勢―この頃、何があったのか?

NATO拡大 バルト3国、スロバキア、スロベニア、ルーマニア、ブルガリア                                     2004年3月(ゴルバチョフの失敗)
ラブロフ外相就任            2004年3月9日
プーチン大統領再選          2004年3月14日
中ロ国境協定                          2004年10月14日(批准は2005年)
オレンジ革命                         2004年11~12月
戦勝60周年記念式典               2005年5月9日
プーチン大統領訪日              2005年11月20~22日(政治文書出せず)
ミュンヘン安保会議でのプーチン大統領「新冷戦演説」は 2007年2月

  ⑵上記時期に転機―既に4島ロシア主権下論が形成(仮説)

   ①プーチン大統領記者会見(2004年12月23日)

 56年宣言について「どんな条件で(2島を)引き渡すのか、いつ引き渡すのか、どの国の主権が適用されるのかは書かれていない」

   ②ガルージン公使論文(国際生活2005年6月号)

 「日本がナチスドイツの同盟国だったこと、第二次大戦の結果としてヤルタ合意に基づいてソ連にクリル諸島が引き渡されたことを忘れてはいけない」 ※ただし、「択捉、国後、色丹、歯舞の帰属の問題を解決して平和条約を締結することで国境を正常化する」という東京宣言に沿った見解も併記

   ③プーチン大統領国民との対話(2005年9月27日)

 4島について「ロシアの主権下にある。国際法によって確定しており、第二次大戦の結果である。この点について議論に応じる考えはない」

   ④ロシア外務省高官(2005年9月30日)

 取材に対して「まず4島の主権がロシアにあることを平和条約で確定させる。その後、初めて2島引き渡しの交渉を始める。これが、ロシア政府として正式に確認した方針だ」

第5.他国との領土問題の解決
 1.「50:50」での決着
①中ロ国境のタラバロフ島と大ウスリー島(2004年に合意)
②ノルウェー・ロシア境界のバレンツ海・北極海(2010年に合意)

 2.「100:0」での決着(事実上)
 エストニア側が領土回復を断念することを内容とする国境条約に署名(2005年)し、2014年には修正条約にも署名したが、NATO加盟やウクライナ問題等の影響により、未だに批准されていない。

 ⇒従って、中間路線で、2島返還で解決できるという保証はないでしょう。

 
  駒木様からのご講演は、以上のとおりとなります。

  駒木様におかれましては、長年、新聞社の論説解説委員をつとめられたご経験から、貴重なお話をお聴かせ下さいまして、誠に有り難うございました。複雑とも言われるこのテーマを大変分かりやすくご解説下さいまして、参加者の皆様も、非常によく理解できたとおっしゃっていました。改めまして、つつしんで御礼申し上げます。(文責小川)。

※本ウェブサイトで公開される内容は、あくまでロシア法研究会で交わされた議論の概略を報告したに過ぎません。掲載内容の正確性や事実の真実性を保証するものではございませんので、ご理解いただきたくお願い申し上げます。

※また、冒頭に申し上げましたとおり、本テーマに関しましては、様々なご意見、ご見解があろうかと存じます。その中の一つとしてご理解いただけますと深甚です。

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